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「『など』の充実が人生を豊かにする」星野概念インタビュー#WORKandFES2021

「ウェルビーイング」という言葉を至るところで耳にするようになりました。誰もがよく生きる。そんな社会はすばらしい。それは疑う余地のないことのように思えます。しかし、この正しさに満ちた言葉に少しだけ違和感を覚えるのは、具体的に何を意味していて、誰のために使われているのかわからない「マジックワード」として捉えられているからではないでしょうか。天才物理学者のホーキング博士は、ALSという難病を患ったことで身体の自由が利かなくなりましたが、以前よりも人生を楽しめるようになったと生前に語っていたそうです。彼にとってのウェルビーイングは、一体どのようなものだったのでしょう。“ままならなさ”という一見するとウェルビーイングとほど遠い事象から見つめてみます。

※このインタビュー記事は、2021年12月11日に開催されたオンラインイベントWORK and FES 2021のノベルティ「WORK and FES 2021副読本」に掲載しているものです。そのほかにも、多彩な面々のインタビュー記事が掲載された副読本のプレゼントキャンペーンを3/4(金)〜3/31(木)まで実施しています。ご希望の方はこちらのフォームよりご応募ください

「など」の充実が人生を豊かにする

医者だけどミュージシャン。厳格な先生だけど意外とプロレス好き。そんな人間の多面性を認めることが他者との関係性を豊かにすると語るのは、精神科医「など」多方面で活躍する星野概念さんです。「組織人として」「医者として」「患者として」とTPOに適した振る舞いを求められる社会のなかで、私たちが「心の居場所」をなくさないために必要なこととは?

星野概念(ほしの・がいねん)
精神科医 など。病院勤務を続ける傍ら、執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。音楽活動はさまざま。著書に『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』(ミシマ社)、いとうせいこう氏との共著『ラブという薬』、『自由というサプリ』(ともにリトル・モア)がある

──プロフィールでは、精神科医「など」と自己紹介されることが多いですね。ミュージシャンでもあり、エッセイなどの執筆もされています。それらの活動の間には、どんなつながりがあるのでしょうか。

どうなんだろうなあ......いろんな時期があって、だんだんとつながってきた感じです。若い頃、音楽を中心に頑張っていたバンド時代は、とにかく「売れたい」と思っていました。「売れないと自分の存在価値がない」って。でも予想外に、まるで売れなかったんですね(笑)。そこから精神科医になっていくんですが、だんだんと「狙わなくなった」気がします。自分が自然と楽しいと感じたり、追求したくなったりしたことを、気の向くままに追いかけるようになって。

──ステータスのような、社会的な価値観や目標を「狙わなくなった」わけですか。

そうですね。人間社会の規律というか、「こうなるのが正しい」「こうすれば社会的にちゃんとしているように見える」ということを追いかけると、苦しくなっていくような感じがしたんです。生きていれば、人間にかかわらず生き物という存在は変わっていくし、物事も変化していくじゃないですか。その流れを大事にするというか。たとえば僕は「発酵」にハマって深掘りしていくようになったんですが、それは医療の仕事にほとんど役に立ちません(笑)。でも、自分の感性の変化、その流れに従って動いていると、無理がなくなっていくんですよね。

──書かれる文章も、生の“余白”を救いとるような内容ですよね。

文章を書くこと自体は、それこそ音楽をやっていた若い頃から好きだったんです。あれもこれも、と感性に従って拡散させていくと、最初は自分でも何をやっているのかわからないんですけど、だんだんとつながってくるものなんだなあ、と感じますね。

心の居場所がないと、人は孤立してしまう

──精神科医のお仕事も、人間社会の規律とのあいだで軋轢を抱えている患者さんの話を聞く機会が多いのではないでしょうか。

「診察」では、医者も患者さんも、「症状」について話すものだと思いがちです。いや、それはとても大事ではあります。きちんと眠れているかとか、どんなふうに育ってきたかといった話を通じて、相手のことをわかっていくことはすごく重要。ただ、たとえば訪問診療にいくと、「関係性がやわらかくなる」ことがあるんですよ。患者さんの自宅にうかがうと、棚のうえに飾ってあるものなどから雑談が盛り上がって次第に打ち解けていき、それまでは拒んでいた薬を飲んでくださるようになる、といったことが起こるんです。

──「関係性が柔らかくなる」という言葉は印象的です。医者と患者の役割が固定しやすい診察室では、なかなか難しそうですね。

いろいろと工夫してはいるんです。植物を置くだけでは、診察室がもともと整理されすぎた空間なので、あまり大きな意味はなさそうで。今のところ一番いいのは、僕の服装を変えることですね。白衣や、半袖Vネックの「スクラブ」といわれるユニフォームではなく、スウェットを着るぐらいがいいのかな、って。試行錯誤するうちに迷走して、一時期は作務衣を着ていたこともあるんですけど(笑)、スウェットぐらいがちょうどよさそうです。

──ウェルビーイングも、そうした関係性の観点で捉え直すことができそうです。

精神科で働きながら、「孤独」と「孤立」、そして「心の居場所」について考えることがよくあります。単に1人でいる「孤独」は、必ずしもつらいわけではないと思うんです。たとえば趣味に没頭しているとか、そこに自分の「心の居場所」があればいい。でも「孤立」ということ、自分の「心の居場所」がどこにもない状態は、誰にとってもつらいでしょう。家族でも職場でも、表面上のつながりはあるのに、「心の居場所」として感じられない場合、その人は「孤立」してしまっている

──「孤立」しない「心の居場所」は、心身のみならず社会的にも満たされたウェルビーイングというテーマに、大きく関係しそうです。働く人なら誰しも切実な話ですね。

はい、本当に。冒頭の僕の話ではないですが、数字を達成しなきゃいけないとか、今はコロナ禍で減っているかもしれませんが、飲み会で楽しくしているようにしなきゃいけないとか......社会の規律、みんなの動きに揃えないとそこにいられない、そんな「仮の自分」のような感覚があると、たとえ仕事はあっても、人はとてもつらいと思います。

関係性がゆるむと愛着が湧く

──規律だった企業組織が、そのなかで規律の外に目を向け、お互いの「心の居場所」を確保することを目指す......なかなかの難問です。どうすれば理想に近づけますか。

知らない間に外せなくなっている「枠」を外すためには、非合理的な場を設けたほうがいいんじゃないかと思うんです。僕はいろんなところで「スーパー銭湯をつくろう」という話をして、その都度聞き流されるんですけど......(笑)。いや、企業のなかにスーパー銭湯は非現実的でしょうし、コロナ禍のなかで“集う”場をつくる難しさもあると思うんですが、それでも寄合所のようなものは重要である気がします。

スーパー銭湯という例を出したのは、単なる寄合所のようなスペースだと、みんなスマホをいじるだけになってしまうからなんですね。そういう何もしない空間も必要ですが、まるですれ違いながら風呂やサウナに入るような、ほんの少し共有できるもの、「ゆるいつながり」が生まれる場もほしい。そこでこそ、普段の自分たちにまとわりついている薄い呪縛のようなものから逃れられるかもしれないんじゃないかな、と。

──「ゆるいつながり」ですか。

街の銭湯だと「あの人、いつもこの時間にいるな......」というような瞬間があるじゃないですか(笑)。特に仲間意識があるわけではないんだけど、なんとなく知っている、という感じ。そういう「ゆるいつながり」を普段から持っていると、たとえば仕事で何かアイデアを思いついたとき、「あ、そういえばあの人確か、力になってもらえる部署の人だったかも。話しかけてみよう」という関係性につながっていく。以前の社内の発想ではありえなかったような、アイデアの発展の仕方があるかもしれない。そしてそれって、「孤立」が解消されつつ、規律の外にお互いが立てているような場なんですよね。

──そうした場は、それこそ星野さんが精神科医「など」とおっしゃるときのような、お互いが含み持つ「など」に気づける場なのかもしれません。

ああ、まさにそうですね。これは知人の言葉なんですが、「個人で多毛作をする」こと、アイデンティティの「など」を充実させることがそもそもすごく大事。そのうえで、「あなたの『など』は何ですか」と感知し合えるようになっていけば、豊かな関係性が紡げる気がしますね。みんなが「など」を大事にしていくことで、自動的に規律の外に出ることができるような気もします。

ヒントはいろんな瞬間にあると思うんですよ。パソコンのことがわからなかったら教えてくれる同じ部署の人とか、きっといますよね。それは精神医療の世界だと「ストレングス」という、その人の強みです。今ハッと思い出したんですけど、僕の学生時代の指導教授はとても怖い人だったんです。でもあるとき、先生はプロレスが大好きだということがわかった。「僕もプロレス好きなんです」という話のきっかけで、関係性がゆるんでいったんですよね(笑)。ゆるむと、その人に愛着も湧くわけです。

──意外と日常に、それぞれが満たされるウェルビーイングのヒントはある、と。

コロナ禍の日常ということを考えると、社会の規律自体が大きく変化したことは無視できません。個人としての価値観が変わった人も多いはず。自分にとって本当に大切な人の存在に気づいた人もいるかもしれないし、これまでは集団のなかで愛想を振りまいていたけど、必要ないんだと思った人もいるかもしれない。そうした変化は、ないことにはできません。だから僕たちはこれから、コロナ禍から「元に戻る」のではなくて、「新しい環境」を生きていくんだと思ったほうがいい。

──コロナ禍でみんな感覚が揺らいできたわけですから、お互いの状態により意識的であることから、ウェルビーイングのありようも見えてくる気がします。

各人の魅力を意識して、自然な形でシェアをするということは、お互いにとってうれしいもの。たとえ仕事に直接つながらない趣味や嗜好のようなものであっても、自分のよさを認めてもらえれば、人はその環境を自分の「心の居場所」として感じることができます。そんな豊かな関係性は、きっとウェルビーイングにつながっていくんじゃないでしょうか。

文:宮田文久 イラスト:星野ちいこ

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