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読む、#ウェンホリ No.01-03「私たちは評価されることに傷つきながら生きている」

ラジオ書き起こし職人・みやーんZZさんによるPodcast「WEDNESDAY HOLIDAY(ウェンズデイ・ホリデイ)」書き起こしシリーズ。通称「読む、#ウェンホリ」。今回は、第1回のタレント・新内眞衣さんと哲学研究者・永井玲衣さんの対談から「私たちは評価されることに傷つきながら生きている」をお届けます。

「評価ってなんだろう?」をテーマに哲学対話をはじめた新内さんと永井さん。すると、新内さんが長きにわたってモヤモヤしていた気持ちが少しずつ言語化されていきます。新内さんにとっての評価は一体どのようなものなのでしょうか?

<No.01-02から続く>

私たちは評価されることに傷つきながら生きている

永井:いいですねー。そう。問いってね、いきなりポロッと出てくるよりも、それも対話でようやく「ああ、私はこれを考えてたんだ」って出てくるもので。そもそもその評価が気になったきっかけっていうのはどういう感じなんですか?

新内:そうですね。元をたどるとやっぱりその小学生のときとか私、運動がすごい苦手だったんで。その徒競走とかで1位から4位を絶対決めるじゃないですか。その1位から4位を決めるとき、「私は絶対4位なのに、なんでこの場を走らなきゃいけないんだろう?」ってずっと思ってて。「この徒競走さえなければ、その日1日が楽しく過ごせるのに。その日に1時間、体育があることによってなんでこんなに悲しい思いをして家に帰らなきゃいけないんだろう?」っていうのを思っていたんですよ。

でも評価って本当にずっと付きまとうというか、人生の中で欠かせないというか、常に隣にあるものだと思っていて。それこそ私はアイドルもやっていたので、その他人からの評価っていうのはやっぱすごい耳に入るものでしたし。すごい、それで悩んだこともあったので。「評価ってなんなんだろう?」って今、あらためてちゃんと問わないといけないなって思います。

永井:ねえ。評価ってなにをされていることになるんだろう?っていうのって本当、哲学的な問いで。で、哲学対話って急いで答えを出したりするっていうよりは、その問いにさらにどんな問いが隠されているのか? 「評価ってなんだろう?」って問うことでまた別のわからなさがポコッて出てきて。そこをみんなでちょっとつついたりして。そしたらまた、わからなさが出てきて。またそこをみんなが追っかけてっていうふうに進むんですけど。今、眞衣さんにおっしゃっていただいたその「評価ってなんだろう?」っていうのが元々はね、順位をつけられるっていう、その経験からって言ってたんですけど。じゃあ「評価とは1位、2位、3位、4位を決めること」っていう定義になりそうですか?

新内:うーん……そういうことでもない気もしますね。

永井:なんか、どういう広がりがありそうかな? って私も……「面白いな」と思いながら聞いてたんですけど。

新内:なんか、それこそ徒競走とかなってくると、そのチーム内での、なんていうんですか? その出走する4人での戦いじゃないですか。だからそれの組み合わせが違えば、また評価は違うものになると思いますし。それは、なんていうんですか? 相対評価じゃないですか。だけど私はやっぱりその芸能界に入って、いろんな方の評価というか、いろんな方の意見とかを聞いていて、「人によってこんなに評価が違うんだな」っていうのも体験してるんです。

永井:なるほど、なるほど。

新内:だからこそ、いろんな意見がある中での摩擦で悩んじゃったりとか。この人はすごい「いい」って言ってくれるけど、この人はすごい「よくなかった」って言われたりとか。そんなことがあったりするので。だから、評価って難しいなって思いますね。

永井:ねえ。私たちって評価されることにすごく傷ついて生きていると思うんですよね。でも、またそこで不思議に感じてきたのは、評価されることのなにが傷つくんだろう? って思って。今、おっしゃっていただいたのはたくさんの方のそれぞれの評価の価値基準が異なっていて。で、「うるせえよ」みたいな評価もあれば「ああ、なるほど!」みたいなやつもあったりして。その多様性に傷つくんですかね? それとも、なんか別の……評価されるときってなにか私の決定的なものに触れちゃったような感覚が私はあるんですけど。それってなんなんだろう? って不思議になってきた。

新内;うーん……なんか、本当の自分というか、私の性質かもしれないんですけど。なんか、その新内眞衣を全部知ってるのは新内眞衣しかいないと思ってるんですよ。だから、そこの意見の違いに悩むのかな?って思います。

永井:ああ、眞衣さんと他の人の違いに傷つく?

新内:だからたぶん自分が確固たる意志を持って「評価なんか気にしない」っていう人生を送れていれば、評価に悩むこともたぶんないんだと思うんですけど。やっぱり自分と対話をしきれてない状態で芸能界に入ったりとかしたので。まあ、徒競走のときもそうですけど。それに傷つくのかなとも思います。

哲学対話で大切なのは「問いを育てること」

永井:じゃあ私のあり方ってこうなのに、そうじゃない仕方で人に価値づけされるとか、解釈されるっていうことに傷つく、のかな?

新内:かもしれないですね。

永井:なんでそれが傷つくんですかね? いや、私もめっちゃ傷つくんですよ。

新内:難しい!

永井:「永井さん、こうだよね」とか言ってきて「いや、全然違うし!」って思って。めっちゃムカつくし、傷つくし。「こうした方がいいよ」とか言われて「いや、マジうるせえ」とか思うんですけども。

新内:「私のなにがわかるの?」って思うこととかもあったりするじゃないですか。でもそこで、やっぱり大人になると自分のなかで消化できる思考回路も持ち合わせるじゃないですか。だんだんと。だから消化できるようになるとは思うんですけど。深掘りしていくと「なんでなんだろう?」ってなりますね。結局。

永井:そうなんですよね。しかも評価に傷つくってことって悪いことなんですかね?

新内:そもそもですね。

永井:うん。

新内:悪くはない気がします。それこそ、うーん。私がそのいろんな方の評価を聞いていくなかで「ああ、こういう視点もあるんだ」って思ったりもするんですよ。だからそのときの自分の気分というか、心の状態にもよるのかなとか思ったりとかすると、評価って難しいなって思いますね。

永井:ねえ。評価……しかもアイドルっていう立場って、すごく評価ってものが浮き上がってくるような、すごくハードな業界だと思うんですけど。それって、なんでしょうね? 眞衣さんとその評価してくる人の違いに傷つくってさっきありましたけど。たとえばなんか、自分とそれ以外の人とか、なんか眞衣さん以外のアイドルの人と比較されるとか。そういう観点での傷つきとか評価とかってありそうですか?

新内:そうですね。うーん……なんて言うんですかね? その、うーん、難しいな。どう頑張っても棘のある言葉になりそうで……(笑)。

永井:アハハハハハハハハッ!

新内:そう、なんですよね。なんか本当に裏で起こってることっていうか、その表で見えてないことって、1見えてたら1000ぐらいあると思ってるんですよ。だからこそ、いろんな人の意見が耳に入るっていうか、いろんな状況があるからこそ、その1個の評価で傷ついたりするんですよ。「なんでできないの?」とか。「なんでこんなこともできないの?」っていう、そういうのも……いろいろあるうえで、いろいろ背負ったうえでこれをやったのにっていうのもあるのかもしれないですね。

永井:なるほど!

新内:でも、その背景は知らなくていいものだし。知らずに公開するのがそういう仕事だとは思うので。そこに傷つくのはお門違いなのかもしれないですけど。やっぱり自分の中で消化しきれない部分とかあると、傷つくっていう形になるのかなとは思いますね。

永井:なるほど。じゃあ単に違いっていうよりは、私たちのなかにあるものすごい複雑性みたいなものをなにか単純な仕方で切り取られるっていうことに私たちは傷つくんですかね?

新内:ああーっ! そうかもしれないですね。

永井:評価の暴力性ってそういうところにあるかもしれないですね。

新内:いや、これちょっと止まらないので。さっき「時間で区切る」っておっしゃってたじゃないですか。そうしないと、ちょっともう無法地帯になっちゃいますね(笑)。

永井:4時間ぐらいやっちゃうから(笑)。

新内:じゃあここで一旦、前半はここまでということで。最後に永井さんから哲学対話を進める中で大切にしていることを伺って終わりにしたいと思うんですけど……終われます、これ?(笑)。こんな感じで(笑)。

永井:そうですね。哲学対話で私が大切にしてることは「問いを育てること」ですね。

新内:「問いを育てる」。

永井:はい。今みたいにその「評価するってなんだろう?」っていうところから「じゃあ評価のなにが傷つくんだろう?」とか、「それってこういうことなのかな?」というふうに一緒に私も眞衣さんと考えながら、私自身も「評価ってなんだろう?」ってことを捉え返されつつ、問いを育てていったような感じがあって。「私たちの気になりポイントってどこだろう?」って手を伸ばし合うみたいなことが哲学対話の醍醐味だなと思うので「問いを育てること」っていうふうに言ってみました。

新内:ありがとうございました。

<書き起こし終わり>

文:みやーんZZ


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